公開日:2017/11/21

教育現場でのICT導入とデジタル教科書は、「聖剣」なのか「トロイの木馬」なのか

「第21回情報リテラシー連続セミナー@東北大学」レポート

東北大学大学院情報科学研究科では、『情報リテラシー教育のこれからを考える』と題した「情報リテラシー連続セミナー@東北大学」を2014年度より開催し、各分野の専門家を講師として招いている。2017年4月に開催された第21回セミナーの講師は、韓国教育学術情報院、通称KERISの主任研究員・曺圭福氏が務め、教員や学生、地方自治体の教育担当者や教育委員会、民間企業など、多様な立場・視点の参加者が集まった。

韓国教育学術情報院(KERIS)主任研究員
曺 圭福 氏

韓国弘益大学教育学部卒業後、東京外国語大学で修士号、広島大学で博士号(教育学)を取得。韓国教育学術情報院(KERIS)で主任研究員を務めながら、2017年4月からは、東京大学大学院教育学研究科で外国人客員研究員も兼務。専門は、韓国の初等中等教育の情報化。韓国を中心に各国のICT活用・デジタル教科書に関する調査に関わり、日本の教育工学分野に対しても数多くの情報提供を行っている。


教育のICT活用には、多角的な分析・評価が不可欠

 韓国におけるデジタル教科書の普及をけん引してきた韓国教育学術情報院(KERIS)は、韓国教育部所管の準政府機関だ。曺圭福氏は、KERISの主任研究員として、韓国を中心に世界各国における教育のICT活用について研究を進めている。

 セミナーではまず、企業が主導権を握るアメリカ、校舎の改築に乗じてICTの導入が進むイギリス、行政がイニシアチブを取って導入を進め、モデル校を設けて検証を進めるフランスなど、教育のICT活用に関する諸外国の状況が説明された。単純な日韓の比較ではなく、広い視野での国際比較によって、豊富な示唆が与えられる。そして、韓国は1台で6人、日本は1台で9人といったハードウェア面における浸透度の差異や、紙の教科書の使用義務がある日本に対して、韓国では紙かデジタルのいずれかを使用すればよい、という制度・法律面の差異も紹介された。

 曺氏の研究が優れているのは、ハードウェア環境の進捗状況を数値で表すだけでなく、導入に伴うメリットやデメリット、さらには未導入での弊害など、プラスとマイナスに深く突っ込んだ研究をしている点にある。例えば、デジタル化の弊害として子供の視力低下が問題視されがちだが、健康面での悪影響を示す統計的な結果は出ておらず、感覚で物事を判断すべきではないという結論に至る。また、定量的な評価が難しい意識面での効果にも切り込んだ研究を行うことで、子供同士の対人関係に好影響を与える効果も紹介された。

 さらに、教員側に立った考察として、ICT機器にエラーが起こることで授業が止まり、慌て、ストレスになるといった声があること、一方で子供の立場で考えた場合、ICTの活用によって興味・関心は高まるとしても、高い学習効果が生まれるとは限らないといった解説が行われた。

 ただし、デジタル教科書の普及が進みつつある中で、変化に応じて教員が授業方法を再考して授業がブラッシュアップされていくばかりでなく、子供同士や教員と子供のコミュニケーション方法、人間関係に変化が出てきている状況も紹介された。教員と子供たちがメールでコミュニケーションを図ることで、子供が意見を述べやすくなるといった、学習効果という主目的以外の可能性が広がるというのだ。

 その後曺氏は、こうした多角的な調査・分析に基づいて、既存のクラウドやSNSといったプラットフォームの活用とBYOD(Bring your own device=自分のデバイスを持ち込んで活用すること)について主張した。

既存のクラウドやSNSの活用、BYODの導入を提案

 韓国でも日本でも、子供はスマートフォンやSNSに慣れ、クラウドも身近になっている。しかも、どちらも無料で使えるケースがほとんだ。「だからこそ、SNSとクラウドを教育現場に活かさない手はない」。それが曺氏の主張だ。また、その際には無線LANの活用を提唱する。無線が使えないICT活用には限界があるからだ。

 SNSの活用事例はシンプルだ。グループワークで調べ学習をして、まとめた内容をSNSにアップロードすれば、タイムライン上に各グループの内容が並べられ、見比べることができる。また、講義形式の一斉授業でも、黒板の代わりにSNSを使えば、そのSNSを見て容易に復習もできる。「子供たちが作ったものや書いたものなどを撮影してSNSにアップしておくだけでもいいと思います。韓国では、親もそのSNSを閲覧して、子供がどのような勉強をしているのかを把握することもあります」と曺氏。韓国ではデジタル教科書が専用のSNSを実装することもあるというが、便利なSNSはたくさんあり、既存のプラットフォームを使うこともよいという見解だ。

 これは、ハードもソフトも最新機器を使おうとする、日本と韓国に共通する傾向へのアンチテーゼだ。「日韓ともに、まずは端末や環境を整備しようと考えがちなのです。わざわざ新たに開発・整備しなくても既存のソフト、プラットフォームを使えばいい。デジタル化されたデータは、教科書の内容をPDFにするだけで十分なケースもあるのですが、凝ったものを作ろうとするのです。クラウド環境にしても、情報漏えいの危険性など、とかくネガティブな点をクローズアップさせて進展を妨げている印象です」と曺氏は続ける。

 当然ながら、専門業者に新たなシステムの構築を発注すれば、多額の予算が必要になる。そこで、曺氏が強調するのがBYODの推進だ。BYODとは、子供が私物の端末を学校に持って行き勉強に活用することを意味する。「スマートフォンの学校への持ち込みを禁止する措置は、スマートフォンの私的な操作によって授業に集中できないという危険性を排除すると同時に、使い慣れた端末を学業に活かせる可能性をも封じ込めてしまう」と曺氏は考える。また、学校が用意した持ち出し禁止の端末では、自宅学習の機会やモチベーションそのものを奪いかねない。

 「教育である以上、韓国でも日本でも保守的になるのはうなずけますが、古い慣習を壊して、戦略的にブレイクスルーして革新していくべきでしょう」と曺氏は強調する。

デジタル教科書が”トロイの木馬”であるワケ

 こうした教育のICT活用に関する状況について、曺氏はデジタル教科書を「トロイの木馬」にたとえている。ギリシア神話に登場する巨大な木馬「トロイの木馬」は、ギリシアとトロイが戦うトロイ戦争において、ギリシアが手詰まりになった際に、木馬に人を潜ませてトロイの陣内に運び込んだ策略である。相手を巧妙に陥れる罠を「トロイの木馬」と呼ぶことがある。デジタル教科書を運用していくためのハードウェアやプラットフォーム、インターネット環境を選定する際に、言わば「頭でっかち」になりがちな中で、「罠」では聞こえが悪いものの、戦略的なICT活用が不可欠だという点においては、曺氏による「警鐘」とも考えられる。

 曺氏のプレゼンテーションの後、「アジアでICTを活用した教育が進んでいるのは韓国とシンガポールです」と切り出したのは、東北大学大学院情報科学研究科・教授の堀田龍也先生だ。韓国では、国内のICT機器メーカーなど、国内産業の発展と紐づけるように、日本よりも密に取り組みが進められてきたという。韓国では「急ぎすぎたのではないか」という声もあるものの、これまでの取り組みを振り返り、第2フェーズに入っているとのことだ。

 そして、「日本ではこれからの課題ですが、いずれは韓国と同じ道を進む可能性があり、韓国における教育のICT化に関わる中心人物である曺氏の話はとても貴重です」と堀田先生がセミナー前半を締めくくった。


2020年からの新学習指導要領に向けて、何を検討すべきか

 セミナー後半は、堀田先生による日本国内のデジタル教科書に関する状況説明からスタートした。現在は、教科用「図書」として法律で定められた紙の教科書の使用義務があるが、2020年からはデジタル教科書を使えば紙の教科書を使ったとみなされるようになるという。「現在は、デジタル教科書だけで授業をすることが法律上認められていませんが、科目別であれ学校別であれ、少しずつデジタルへと移行していき、知見を蓄積させていくことになるのではないでしょうか」と堀田教授。2017年度からは、ガイドライン策定のための実験校において、健康への影響や、あるべきハードウェアなどの実証実験が行われていく。そこで検討すべきテーマは左記の通りだ。

 この中で、教室にICT機器が1台入ることによる子供の学力向上は実証済みだが、子供が一人1台のデジタル端末を持つことでの学力向上については不明瞭さも残る。子供の満足度向上や利用頻度向上も達成されるという。

 健康面については、姿勢の悪化や視力の低下は研究途上。ICT活用の優位さは確認できておらず、良くはならないものの、悪くもならないという程度だ。だが、子供が一人1台のデジタル端末を持つことに対する保護者の不安は大きいようだ。その他、情報モラルに関する体系的な研究が進んでおらず、漠然とした不安が大きいと言える。デジタル教科書の使用による教え方の変化、学び方の変化、学ぶ内容の変化などについては、研究の方法論自体が確立されておらず、研究上の課題も山積しているという。

 こうした課題について、現場の教員や教育委員会、自治体など、様々な立ち位置で教育に携わる一人ひとりが何をすべきかを考えようと、このセミナーでは、参加者が3、4人1組でグループを作り、ディスカッションを行った。ディスカッション後にグループごとに発表された内容は下欄の通りだ。

ICT、デジタル教材は、個々のスタイルを増幅させる


 現段階で、国が定めたデジタル教科書はないものの、優れたデジタル教材はすでに存在する。また、日本では指導者用のデジタル教科書は10年ほど前から普及してきている。ただし、現在、多方面で議論されているデジタル教科書とは、子供が紙の教科書のようにタブレットなどを使って勉強できるようになるためのデジタル教科書だ。そこで、将来的なデジタル教科書の導入に向けて、タブレットの活用方法を模索するという意味でも、今あるデジタル教材を授業に活かす練習をすることは一定の成果をもたらすだろう。

 なお韓国には、市販のデジタル教材のほか、無料のデジタル教材も多く、有料のものも低価格化が進んでいるという。「デジタル教材はクリック一つで購入できて、それを使って従来の一方的な講義型の授業でタブレットを使うケースもあります」と曺先生。アクティブ・ラーニングを実現する授業スタイルへの活用だけでなく、教員個々の授業スタイルに合わせたデジタル教材の活用が行われているようだ。

 「講義型の一斉授業で教えたい教員は、その目的をデジタル教科書によって遂行・実現することもできるんですね。つまり、目的に向かう手段を増幅できるということです。ただ、そこで子供のメリットを考えれば、いかに子供に主体性を持たせるかが重要です」と堀田先生は話す。タブレットが導入されたから今日から対話型の授業をしましょう、アクティブ・ラーニングをしましょうというのは確かに難しいだろう。

 「タブレットを導入したからといって授業方法をすべて変えるべきという話ではありません。子供たちが話し合うグループワークなどは、それぞれの現場でスタイルを確立してきていればタブレットを導入してもうまくできるはずです。今まで大切にしてきたことを、これまでもやっていくことが肝心です」と堀田先生。その中で、プレゼンテーションなどで自分の意見を表明するのが当たり前になり、その内容をSNSなどオンラインで共有するのが当たり前になっていくように、まずできることから少しずつでも段階的に取り組んでいくことが大切だと強調し、セミナーは幕を閉じた。

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