必修でも卒業要件でもない講義を起点に開く“グローバルかつ学際的”な学びへの扉

慶應義塾大学 GICセンター 所長
理工学部機械工学科 教授
小尾 晋之介

講師の話やディスカッション、試験などの一切が外国語で行われる多彩な授業ラインアップを揃え、留学生を含むすべての学生に提供する――。慶應義塾大学 GICセンターは、特色豊かなプログラムを通じて、学生がこれからの時代を生きるための学びの機会を提供する。そこで所長を務める小尾晋之介教授に、同センターの取り組みやこれからの大学教育について伺った。

慶應義塾大学 GICセンター 所長 理工学部機械工学科 教授 小尾 晋之介 氏

「実体験」を提供する役割がこれからの時代に重視される

同年代の外国人と議論を交わし「等身大の世界」を知る

 「10年先の未来が突然やってきた」。そう形容されるほど、新型コロナウイルス禍は社会に変革をもたらしました。大学でも一気にオンライン講義が普及する契機となり、「単純な知識習得型の講義などはオンデマンドやオンライン形式で十分代替できる」との認識が広がったことは、コロナ禍がもたらしたある意味でポジティブな効果だと思います。

 半面、将来の大学教育のあり方には一石が投じられたと感じます。オンライン講義などICT(情報通信技術)を活用した教育が現在以上に普及したとき、これまで講義が教育の中心だった大学は、どのように変化していくべきか。その課題に対する一つの方向性と考えられるのが、さまざまな「実体験」の場を提供して、生きた物事の見方を得る場所としての役割の拡大です。

 ここで言う「実体験」とは、実技科目だけでなく、誰かと意見を交換したり、議論を交わしたりすることも含みます。従来の大学では、そうした経験の場所は教員個々の工夫で提供されることもありましたが、「実体験」を提供することこそ、これからの時代の大学の役割として重要性を増していくと考えます。

 現在、グローバル化が進み、世界を学ぶことの重要性がますます高まっています。一方、インターネットの普及で、地球の裏側の情報まで一瞬にして手に入る時代。多くの人は世界で起きていることを知るのはそんなに難しくないと考えているかもしれません。

 私は常日頃、学生に「海外に出て、いろいろな経験をしてほしい」と考えています。世界を認識する上でも、インターネットや伝聞での知識だけでなく、生きた見方を通して物事を知るプロセスが大切だからです。

 特に、「等身大の世界」を知る一番効果的な方法として、学生には外国の同年代の人々との「実体験」、つまり直接会話を交わし、相手の考えに触れたり、自分の意見をぶつけたりする経験を積むことを勧めています。

 私が所属する機械工学科では、数年前から韓国の大学と共同で、サムスンやLGディスプレイなどの工場を現地の大学生と一緒に見学するというプログラムに取り組んでいます。世界的なメーカーの製造現場を見ること自体が勉強になるのはもちろんですが、背景にあるのは「実体験」を通じて国際感覚を養ってほしいとの思いです。

 このプログラムでは日韓混成の学生グループを作り、最終日に「お互いの国や文化の比較」をテーマに発表をしてもらうことにしています。そうすると、学生たちは発言を求められるし、意見を交わさなければいけない。そうした時間を過ごすと、数日程度の短期プログラムでも濃い「実体験」を得ることができるのです。

GICセンターの時間割の一例(2020年秋学期)
GICセンターの時間割の一例(2020年秋学期)

語学力に関係なく履修ができるすべて外国語の教育プログラム

GICセンターで40単位取得した学生に与えられる修了証。帰国子女でない学生も多く手にしている
GICセンターで40単位取得した学生に与えられる修了証。帰国子女でない学生も多く手にしている

 2018年から私が所長を務める慶應義塾大学のGICセンターは、当大学のすべての学生に対して、そうしたグローバルな「実体験」に向けた第一歩を踏み出す経験を提供する場所とも言えます。

 慶應義塾大学は、学部・研究科以外にも幅広く独創的な学びの環境を提供しようと、多くの研究所や附属施設を設置しています。GICセンターは、2014年に当大学が文部科学省の「スーパーグローバル大学創生支援事業」に採択されたことをきっかけに、取り組みの一つとして同年11月に設立されました。

 当センターは「GIC=Global Interdisciplinary Courses」の名称にもある通り、国際的かつ学際的な人材の育成を目指しており、グローバルな教養を育むという目的に向けて、リベラルアーツ的に幅広い知識を身に付けられるコースを提供しています。当センター設置科目、あるいは認定された学部科目を40単位取得した学生には、修了証が与えられます。

 コースの講義はどの学部の学生でも履修可能ですが、講師の話はもちろん、質疑応答やディスカッション、レポート提出、試験などの一切が外国語で行われることが大きな特徴です。ただし、語学力のレベルで履修制限を設けてはいませんので、学ぶ意欲があれば誰でも履修できる仕組みになっています。

 プログラムのすべてが外国語で行われると聞くと、「帰国子女くらいしか修了できないのではないか」と聞かれることもありますが、実際にはそうでない学生も多く修了証を手にしています。興味はあるが学習上の不安があるといった学生向けにオフィスアワーを設けたり、コミュニティ形成のためのワークショップを開催したりしています。

 このようなコースの履修を通じて、学生には語学力を高めるだけでなく、「外国語で学ぶこと」への自信をつけてもらいたいと思っています。さらに、その自信を土台に在学中の交換留学や学士取得後の大学院留学などに挑戦してもらいたいのです。「実体験」に飛び込む準備の場として、当センターの利用をさらに広げてほしいと願っています。

 一方、大学としてはGICセンターを留学生の日本での「実体験」の場として活用する動きも進めています。本学はこれまで多くの交換留学生を受け入れてきましたが、彼・彼女らには学部の講義とは異なる講座科目が提供されてきました。一般の学生でも履修できますが、それでも日本人学生との接触は限られている。そこで当センターの講義を積極的に紹介して、留学生と日本の学生がともに学び、議論を交わす空間を増やそうとしています。

「自分がどう生きるのか」を考えてそれに合った学びを選択する学生が増えていく

グローバル感覚の育成とリベラルアーツを同時に提供

 ただし、私自身は、GICセンターの意義を「留学のための準備ができる」「外国の学生と一緒に学べる」などグローバルな文脈だけで宣伝するのはもったいないと感じています。当センターでは、アカデミック・リテラシー、歴史、科学、現代ビジネス論、社会学、ジェンダー論、音楽、言語学など、多彩なカリキュラムを学部に縛られずに履修することができますが、そうした「リベラルアーツ」を提供する場所としての役割も、これからの世の中を生きていく学生にとって貴重だと考えるからです。

 そう考える背景には、学生の卒業後の進路が変化してきている現状があります。かつて大学を卒業した後は、新卒で就職した会社に生涯務めることが一般的なキャリアパスでしたが、現在では他業界への転職や起業をする人も多くなり、学生が辿るキャリアの可能性は多様化していると言えます。

 そうした潮流の中、多くの学生が、1社に勤め上げるキャリアパス以外の選択肢を積極的に検討するようになっていると感じます。そういった流れを汲んで、今後大学では、「自分はどう生きるのか」を考え、それに合った学びを選択する学生が増えていくでしょう。

 そこでこれからの大学教育には、専門分野の範囲内でスキル取得の機会を提供していく以外にも、リベラルアーツのような多様な学びに触れる機会を提供していく姿勢をより強く打ち出す必要があると予想しています。

 その意味で、今後のグローバル社会を生きる学生たちが国際感覚を養いながら、同時に自分に必要だと思う学びをカスタマイズすることで主体的に学ぶ機会を提供しているGICセンターのような取り組みは、どんどん重要性を増していくでしょう。

より早い段階から「自ら関心を持ち、課題に取り組む」学習を

“卒業後の学び”の土台となる主体的な学習を喚起する

 ちなみに、主体的な学びの姿勢については、学生たちの就職後のキャリアパスにも大きな影響があるとみています。

 「高等教育を提供するのは大学の役目」と言うと当たり前に聞こえるかもしれませんが、日本ではその一部を民間企業が担っている節があります。民間企業が学生を一括で採用し、研修やOJT(職場内訓練)などを通じて「社会人」として一人前に育て上げる。ある意味、大学の後にまた教育を受ける場があると言えます。その職場という教育現場では、非常に伸びる人がいれば、まったく学習がストップしてしまう人もいるのではないでしょうか。

 仕事は仕事、と割り切る考え方もありますが、職場には学びの実践のチャンスや自分を高めるリソースが豊富にあります。しかし、その使い方には教育機関でならば与えられるような教科書やガイダンスはない。私は、そのような環境下で、「経験」を「学び」に変えて自身の成長に繋げられるか否かは、在学中に「自ら関心を持ち、自ら調べる」という主体的な学習姿勢を身に付けられたかどうかに左右されると考えているのです。

小尾 晋之介 教授

 とはいえ、そのような学習姿勢を自分のものにするのは、通常の講義科目だけではなかなか難しいことです。これまで大学でそのような素地を育成する役割を、いわば「最後の砦」として担ってきたのは、研究室やゼミナールでの、自身で課題を探求・定義し、その解決へのリサーチを試行錯誤する経験ではないでしょうか。

 一部の先進的なカリキュラムを除いては、そうした機会は高学年になって初めて与えられることが通例でした。本来はもっと早くから、PBL(Project Based Learning)のような学習機会を提供して、自ら関心を持って課題に取り組む経験を多く積ませるべきだと思うのです。

 本学ではSFC(湘南藤沢キャンパス)の教育がすでにこのような考え方でリードしていますが、伝統的な学部のカリキュラムが今後どうなるのか、大事な局面だと思います。当センターは、そうした大学教育のアップデートのヒントにもなり得ると考えています。

 なお、我々が提供する講義は必修科目でもなければ修了証も卒業要件ではありません。講義を受けるかどうか、どの講義を取るべきなのか、すべてが学生一人ひとりの主体性に委ねられています。グローバルな「実体験」を通じて世界の認識を広げるだけでなく、ライフスパンを見据えた学びの機会を提供する。こうした、これからの大学に求められるミッションに一層注力していくことは、慶應義塾大学のGICセンターにも求められています。

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