教師の学びとライフヒストリー

情報リテラシー連続セミナー@東北大学 第73回

北海道教育大学 大学院教育学研究科
姫野完治教授

文北海道教育大学 大学院教育学研究科 姫野完治先生
北海道教育大学
大学院教育学研究科 教授
姫野完治先生

東北大学の連続セミナー「情報リテラシー連続セミナー@東北大学~情報リテラシー教育のこれからを考える~」の第73回が2024年1月6日(土)にオンラインで開催され、学校現場の教育関係者など約120人が参加した。今回は、北海道教育大学大学院の姫野完治教授に「教師の学びとライフヒストリー」をテーマに講演いただいた。教師の学びを促すポイントやライフヒストリー研究から見えることなど、講演内容のサマリーを紹介する。

教育活動のベースには、その教師の「観」がある

 日本の教師研究の歴史を振り返ると、1980年代までは役割や行動様式などを定義する「あるべき教師像」が中心でした。しかし海外研究の影響もあり、1990年代以降は意思決定や知識、思考、信念、ライフヒストリーなどの「教師の学び」が注目を集めるようになりました。日本の教師研究における「学習者としての教師」や「リフレクション」という視点は、本格研究が始まってまだ30年程度の比較的新しいテーマといえます。

 それだけに、教師の学びに関する考え方は多種多様です。さらに教師個人、校長などの管理職、教育委員会や文部科学省のそれぞれの間には具体的な学び方やその効果についてギャップがあるように見受けられます。

 私は2007年、「学び続ける教師の養成」をテーマに、当時在籍していた秋田大学の教育文化学部に入学した10名へのインタビューを始めました。以来、「教師のライフヒストリー」として年1回のインタビューを継続しています。

 私が、現職教師や教職志望の学生に「あなたにとっての『学び』とは?」を聞くといろいろな答えが返ってきます。「覚える」「発見する」「試す」「わかる」……。学びとは「調べる」から入って「理解する」、そして「できる」の順をたどると考える方もいらっしゃるでしょう。体育の専門家は「まねる」を出発点に選ぶ方が多いです。学びとは「興味をもつ」ことから始まるとおっしゃる教師は、ご自身の授業でも児童生徒が学習内容に対して興味をもつように授業の導入に力を入れる傾向があります。

 このように、価値観や信念は、その教師の授業の進め方など教育活動のベースになります。この価値観や信念を私は「観(かん)」と呼び、「観が変わらなければ授業は変わらない」と考えています。先ほど「『学び』は興味をもつことから始まる」と考える教師は、ご自身の授業でもまず児童生徒に興味をもたせようとすると述べました。教師の「観」は、授業の設計(PLAN)、実践(DO)、評価(CHECK)、再設計(ACTION)のすべてに関わります。言い換えると、「観」が変わらない限り、その教師の授業は変わりません。

 つまり教師の学びでは、その方の「観=価値観や信念」に影響を与える、もしくは「観」を問い直す内容が求められるといえるでしょう。

 以前、ある県の教育委員会の研修企画官も経験された現職の校長A先生から興味深いお話をうかがいました。A先生は、教師の学びに対する姿勢を「開いた教師」「閉じた教師」と表現していました。「開いた」は未知の知識やスキルに興味がある状態、反対に「閉じた」は現状維持に固執するといったところでしょうか。

 その上でA先生は、教師の学びと「開いた」「閉じた」の関係について、次のような手がかりを教えてくれました。
 ▼ 開いた教師は、さまざまな情報を自然にキャッチできる
 ▼ 閉じた教師は、いくら研修に行っても変わらない
 ▼ 閉じっぱなしの人は自分の中で完結している人が多い
 ▼ 開くチャンスがあれば、だれもが開くことができる
 ▼ 課題解決の見通しが立てば開きやすい

 A先生によると、教師の学びに対して「開く」きっかけになるのは、「子供が変わった」という手応えを感じたときだそうです。関わった児童生徒が成長したと感じると、教師の学習意欲は高まるというわけです。一方、報告書提出など「やりなさい」と言われたことだけやっていると、前向きな感情が芽生えにくく、教師の学びは閉じる設定になっていきます。

 また、同じ教師でも、異動や担当替えなど働く環境が変わったことにより開いた教師になったり閉じた教師になったりします。例えば、ベテラン教師の中には、これまでの一斉形式の授業における成功体験を引きずって、GIGAスクール構想で配備されたICT機器を使わない方もいるでしょう。このような自らの学びを閉じかけたベテラン教師が、若い教師と同じ学年を担当することになり、一緒に力を合わせて授業改善などに取り組むうちに子供たちの変化を目の当たりにして、再び「開いた教師」になる事例もあります。

学びに前向きになる転機はインフォーマルな場の経験が多い

 教師の学ぶ環境は「学校内と学校外」を縦軸に、「フォーマルとインフォーマル」を横軸にした4象限で整理できます。

 教師の学びと言えば、まず、学校での校内研修、または文部科学省および教育委員会が奨励する初任者研修や教職経験者研修などが思い浮かぶでしょう。そこでは「新人教師の学びに即した研修にしよう」とワークシートの作成や授業研究を重ねます。あるいは、教師力の向上には「省察」が大切らしいと頻繁に報告書の提出を求めます。

 しかし、私が多くの教師に話を聞いたところ、これら「フォーマルな場」での経験をきっかけに学びに前向きになったとの回答は少数派でした。むしろ、同僚からのアドバイスや管理職からの指導など、「インフォーマルな場」での出来事を転機に学ぶ意欲が高まり、「開いた教師」になる印象です。

 先ほどのA先生の語りをもとに作成した「開いた教師」と「閉じた教師」のモデルを踏まえて、18年目のB先生に自身の歩みを振り返っていただき、「開いた(=学習意欲が高まった)」ときと、「閉じた(=学びに後ろ向きだった)」ときを折れ線グラフで示していただきました。

 そうしたところ、4年目の生徒指導方法へ不信感を抱いたときや10年目の不本意な異動では、赤線が左に寄る「閉じた」状態になっています。反対に、先輩の誘いで道徳教材サークルに参加した6年目や自校の校内研究が機能していないことを自覚した18年目は、赤線が右に寄る「開いた」状態です。

 B先生の事例からも明らかなように、同じ教師でも、取り巻く環境によって学びに前向きになったり後ろ向きになったりします。そしてそれは、知識や情報のインプットというより、「同僚からのアドバイス」「自主的なサークル活動」など、むしろ他者との感覚の共有に根差した経験が大きな要因になるといえます。

 教師の学びをモデル化し、多くの人が活用できる仕組みとするには、まずそれぞれの教師の「観=価値観や信念」は異なることを認識することから始める必要があります。その上で、学校や教育委員会および文部科学省による研修などのフォーマルな場を、人間関係をベースにしたアドバイスや助言が行き交う環境とすることで、これまで以上に学ぶ意欲を高める場とすることが大事ではないでしょうか。学校や研修が、適切な想いとつながりに基づいた“実践知”を共有し、教師を学ぶ状態へと誘う場となることを期待しています。

教師の学びとライフヒストリー

※ご紹介させていただいた所属・役職は2024年3月1日現在のものです

この記事に関連する記事