「デザインの力」で共同体に飛び込む未来を創る自立した人材を育成

武蔵野美術大学
造形構想学部クリエイティブイノベーション学科
若杉 浩一教授

未来予測が困難な現代は、これまでの成功事例が当てはまらない社会と言える。先行き不透明な時代に大学はどのような教育を提供できるか。武蔵野美術大学はクリエイティブイノベーション学科を設立し、「デザインの力」で未来を創る若者を育成する。同学科の若杉浩一教授に理念と取り組みを聞いた。

武蔵野美術大学造形構想学部クリエイティブイノベーション学科 若杉 浩一 教授

プロジェクト実践型で探究しながら
「創造的思考力」を習得

絵が描けなくても学力試験のみで受験できる

CI学科の核となる3つの教育・研究領域
CI学科の核となる3つの教育・研究領域

 武蔵野美術大学は2019年にクリエイティブイノベーション学科(CI学科)を設立し、2023年3月に最初の卒業生を送り出しました。CI学科では、高度な「実社会における学び」を重要視し、プロジェクト実践型で探究しながら「創造的思考力」を習得します。

 美大は「絵が描けないと入学できない」と思われがちですが、CI学科では特別な準備が必要な実技試験はありません。大学独自のマークシート型テストや大学入学共通テストを活用した学力試験のみで合否判定する「一般選抜」と、自己推薦の「総合型選抜」のどちらかを選んで受験できます。文系・理系を問わず、高等学校での学びを重視した入学試験です。

 では、どのような高校生が受験しているのでしょうか。2人の在学生の声を紹介します(学年はインタビュー当時)。

 世の中では、デザインや美術は特別なもの、一般の人には縁がない領域と思われがちです。

 しかし、これからの未来は環境問題、経済格差、エネルギー問題と経験のない新しい社会課題がどんどん起こってきます。さらに、かつては皆が大切にしていた地域、共同体、コミュニティ、業種業態を超えた助け合いといった社会の持続可能性を支える存在が見えづらい。これらを現代にふさわしい姿で整え、やはり価値があると社会に再認識させるには、具体的なプロダクトで可視化する=「デザインの力」が重要になってきます。

 世界を見わたすとデザインスクールで学んだ経験のあるビジネスパーソンが活躍しています。日本でも霞が関の若手官僚が政策立案能力を磨くために海外のデザインスクールに留学するなど、遅ればせながらこの潮流に沿った動きが見られるようになってきました。先行き不透明な時代は、人間のあらゆる感覚と力を利用しなければ解決しない問題がたくさんあります。このような社会で周りの共感を得ながら課題に取り組むには、観察し、発見し、自分なりに表現するデザインの力が役立ちます。私たちは、これまで特殊な世界と〝誤解〟があった芸術・デザインを広く社会にどう実装していくかを追究しています。

課題が価値に変換されるプロセスを
デザインで「見える化」「聴こえる化」

東京を離れ、対象地域に1~2カ月間滞在する

1・2年次の基礎課程は、武蔵野美術大学のメインキャンパスである鷹の台キャンパス(東京都小平市)で学ぶ。3・4年次の専門課程では、官公庁や企業が集う都心の市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区。写真)に拠点を移す。
1・2年次の基礎課程は、武蔵野美術大学のメインキャンパスである鷹の台キャンパス(東京都小平市)で学ぶ。3・4年次の専門課程では、官公庁や企業が集う都心の市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区。写真)に拠点を移す。

 代表的な取り組みが、自治体や企業とともに学生たちが主体となり、本質的な課題の探究と解決方法を提案する「産官学共同プロジェクト」です。3泊4日で社会教育を学ぶといったカリキュラムは多くの大学で行っています。一方、私たちは基礎課程を終えた3・4年生が、ほかの授業を一切排除して、1~2カ月間その地域や企業に飛び込みます。

 そして、年齢も社会経験も異なる地元の方やビジネスパーソンと、時に食事をしながら話し合い、一緒に考える。そのコミュニティの中に入り、1・2年生のときに学んだ手を動かし絵画、彫刻、映像のプロセスを学ぶ「造形」、筋道を立てて主張を構築する「構成演習」、調査によって客観的な視点を持つための「フィールドリサーチ演習」、現在の社会を知ることでこれからを考える「現代社会産業論」といった知見を駆使しながら、観察し、課題を発見し、自分なりの表現で解決策を提案します。

 例えば、シンクタンクや企業等とともに展開している「地域のデザインプロジェクト」。大学のある東京を離れ地域に入り込み、実体験を通して本質的なデザインをすることがねらいです。これまで北海道森町、千葉県大多喜町、和歌山県すさみ町、大分県日出町、宮崎県、熊本県天草市などで実践しました。いずれの地域でも、まずはそこに住み働く人たちとの対話や現地調査から始め、地域の可能性をデザインして提案、新しい地域資産の存在を明らかにしました。

 北海道森町のプロジェクトは、計画段階では豊かな森林資源を生かしたデザイン提案が目的でした。初回の2021年度は、3年生4名と大学院生1名が4週間現地に滞在し、地域産業、街並み、町民の現状調査を基に5年後の未来への提案を毎週行いました。

 1週目は地域の観察に基づく客観的な提案でした。しかし、2週目からは学生たちの内面で自分事化が目覚め始め、この地域の魅力や可能性は産業ではなく、人・営み・風景、そして自然の中でのゆったりとした暮らしではないかと提案が変わり始めたのです。

 この根源的な指摘は地元の人たちを揺り動かし、人口減少に悩む地域の新しい資産の存在を明らかにしました。同町の岡嶋康輔町長は「私たちもまだまだ『まちづくり』に感動する心が残っていたことを、学生の皆さんに気付かせてもらいました。今後も、学生のデザインにより町の課題が価値に変換される『見える化』『聴こえる化』で、町民の皆さまにもっと自分の町に希望を感じてもらえると思っています」と話しています。

「コンヴィヴィアリティ」こそ地域の価値と再認識

熊本県天草市のまちづくりプロジェクトの一環で開催した「ノサリ火」。学生たちが海辺の荒地を開墾し、地域住民など皆で地元の産品を持ち寄り、火を起こし、語らい食べた。
熊本県天草市のまちづくりプロジェクトの一環で開催した「ノサリ火」。学生たちが海辺の荒地を開墾し、地域住民など皆で地元の産品を持ち寄り、火を起こし、語らい食べた。

 熊本県天草市とは2022年9月にまちづくりに関する協定を結び、その一環として学生たちが現地に1カ月間滞在しました。天草の一次産品のブランディングや東京での販路拡大をミッションに設定し、共同生活をしながら、それぞれ自主的にリサーチしました。地域の人たちとの対話を進めるうちに、学生たちは「天草が誇る地元産品を作っている人たちとのつながりこそ、この地域の価値ではないか」との仮説に行き着きます。

 そしてそれを実証するために、海辺の荒地を開墾し、皆で地元産品を持ち寄って火を起こし、語らい食べる場「ノサリ火」を計画・実施しました。学生たちはプロジェクトの成果物として、満天の星空の下、天草の一次産品を囲み、潮風を感じながら語り合うひと時をデザインしたのです。

 イベント当日、参加した地域の方、行政関係者、学生たちは、天草の自然、気候、食材、人とのつながりがこれだけ豊かな時間を紡ぎ出すのかと感動しました。「ノサリ火」はコンヴィヴィアリティ(ともに生きる喜び)の価値を示した事例と言えるでしょう。今回の提案は地元に引き継がれ、洗練されて定着していくと期待しています。

 多くの地方都市は人口減少に悩み元気がありません。地元の大人は「ここは何もない。東京で働いたほうがいい」と子供に諭す。それでまた人が減る。さらに、地域の事情をよく知らない東京の企業が考えたまちおこしのデザインやマーケティングは、結局、都市部の消費者にいかに売り込むかに主眼が置かれ、地方の生産者が十分な果実を得る仕組みにはなっていないのが現状です。

 そんな地方に東京から若い美大生が来て、外からの目で観察し、地元の方と語り合う。そして「ここでの暮らしは、実はこんなに豊かなんですよ」「こういう可能性もあります」と未来をデザインして垣間見せる。素敵な地域だね、一緒に頑張って魅力的なまちにしていこう。私たちのプロジェクトは新しいコミュニティづくりとも言えるでしょう。

 このような「地域のデザインプロジェクト」は、学生たちにとっても自らの可能性を見つめ直す機会になります。東京は自分がいてもいなくても変わらないけれど、この地域は私がいることによって未来が変わるかもしれない。ここには自分のアイデアやデザインに期待してくれる人がいる。プロジェクトに参加し、自分の未来を創り出すことができるとの手応えをつかみ、実際に北海道森町の町役場や長野県長野市の市役所に就職した卒業生がいます。

高大連携協定を通じて
STEAM教育の実践をサポート

イノベーションは「作り手」側の人間が生み出す

 地元の人が気付かない地域の魅力やその企業のビジネスパーソンが見過ごしている課題に気付けるのは、やはり美大生だからです。確かに入学時には絵を描いたことがなかったかもしれません。ただ、1・2年生の基礎課程で手を動かし、対象を深く見つめる観察力や主題に対する表現力を鍛え、作品講評を互いに繰り返すことにより、プレゼンテーションやディスカッション能力に基づく批判的思考(クリティカルシンキング)を養っていきます。

 自分の作品を他人にさらし、意見を求めることは勇気が必要です。「いや自分の意見は違う」と反論すればするほど、大勢からボコボコに言い返されるかもしれない。でも、決まった型のない美の世界で、「自分はこう考える」という意志を貫き、手を動かし続けるのはデザインそのものの行為であり、この過程でこそイノベーションは生まれると考えます。上司の言うことが正解で、その通りに動く人や組織からは、今の日本が必要とするイノベーションは誕生しません。イノベーションは自らの意見を持った「作り手」が生み出すものです。

若杉浩一教授(写真左)と、地域のデザインプロジェクトをともに推進する日本総合研究所 創発戦略センター エクスパートの井上岳一氏(写真右)。「何が正解か分からない時代に、自分の考えを可視化して提案するという1歩を踏み出せるのは、美術の専門教育を受けた人の強みだと思います」(井上氏)。
若杉浩一教授(写真左)と、地域のデザインプロジェクトをともに推進する日本総合研究所 創発戦略センター エクスパートの井上岳一氏(写真右)。「何が正解か分からない時代に、自分の考えを可視化して提案するという1歩を踏み出せるのは、美術の専門教育を受けた人の強みだと思います」(井上氏)。

 学生たちと話していると、「これまでのやり方では自分の未来は見えてこない」と直感的に感じている若い世代が増えていると思います。武蔵野美術大学では、熊本県立熊本高等学校と高大連携協定を締結しており、STEAM教育(※)の実践をサポートしています。その活動の一つとして、CI学科のメンバーを中心にデザインワークショップを開催しました。高校生たちの積極的な反応からも、美術やデザインに対する関心の高さがうかがえます。

 学生や社会人など多くの人が覚悟を決めて作り手側に回り、自ら課題を見つけ解決方法を探る生き方を選べば、この行き詰まった社会は解きほぐれて変わっていくでしょう。未来を形にするデザインは、人に寄り添うテクノロジーです。私たちの「産官学共同プロジェクト」は、デザインの力でイノベーションを導いていく自立した人材を育成する試みでもあります。

※STEAM教育:文系・理系の枠を横断して学び、問題発見力や課題解決力を育む。Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)の略。

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