公開日:2017/1/30
今、あらためて「アクティブ・ラーニング」とは
中央教育審議会にて「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」…いわゆる「質的転換答申」が取りまとめられたのは2012年8月のこと。その中で「学生が主体的に問題を発見し、解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要」と言及されてから、すでに4年が経つ。「質的転換答申」以前からアクティブ・ラーニングに取り組み、いち早くファカルティ・ディベロップメントに注力してきた独立行政法人 大学入試センター試験・研究副統括官の山地弘起教授に、今、あらためてアクティブ・ラーニングとは何か、また大学におけるアクティブ・ラーニングの現状と課題などについて伺った。
独立行政法人 大学入試センター
試験・研究副統括官
山地 弘起教授
1989年東京大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学。東京大学教育学部助手、メディア教育開発センター研究開発部助教授、長崎大学大学教育イノベーションセンター教授等を経て、2016年4月より独立行政法人大学入試センター教授に。
専門は教育心理学、身体心理学。主体的学びに向けた教育開発とその評価研究に取り組んでいる。
質的転換答申に至るまで
山地教授は、2009年の後期から長崎大学に赴任し、主に教育改善の部署で先生方のために役立つコンテンツの作成にあたっていた。長崎大にはそれ以前から、大学教育機能開発センターというFD(ファカルティ・ディベロップメント:教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組みの総称)の部署があったものの、あまり有用なコンテンツを生み出せていなかった。その上、シラバスの作り方や授業設計の仕方、評価の仕方など個々の改善は模索されていたものの、組織的な連携がとれていない状況にあった。
より組織的で実践的な手だてを探る中で出会ったのが「アクティブ・ラーニング」だ。学生が自分の学びの責任を引き受け、大学内外のさまざまな学習資源を主体的に活用していくことを目指す点で、教育改革の軸になる鍵概念と思われた。
山地教授が長崎大学へ赴く前、メディア教育開発センターにいた頃には、学生主体・学生参加型の研修などについても研究しており、アクティブ・ラーニングという言葉自体に覚えはあった。とは言え、まだその頃は、学習指導要領に組み込まれるまでの言葉になるとは思っていなかったという。
10年、アクティブ・ラーニング講座を開催。しかし、なかなか先生方が集まらない。執行部が教育改革を行うとトップダウンで仕切ったものの、教育はなるべく省力化したいと考える先生方は、改革方向に戸惑っていた。
「そこで我々は、三重大学に学ばせていただいたのです。三重に伺って実践的な授業事例を紹介していただき、また長崎に先生方をお呼びして合宿研修も行っていただきました」
三重大学は、元々医学部で用いられていたPBL(プロブレム・ベースド・ラーニング:問題解決型授業)を全学に広げるなど先駆的な取り組みで有名だ。
そうしていよいよ12年、いわゆる「質的転換答申」がまとめられる。
「アクティブ・ラーニングのような言葉が新しいものとして流行すると、先生方には本当に失礼になると思うのです。小学校の先生方はずっとアクティブ・ラーニングに取り組んでいらしたわけです。けれど、大学では、学習観を変えるためのキーワードになっているのも、また事実なのですね」
ポイントは思考の活性化
「アクティブ・ラーニングという言葉のわかりづらさは、それ自体がアンブレラ・タームであることに起因します。PBLしかり、ジグソー学習しかり、反転学習しかり。能動的な学習を総称してアクティブ・ラーニングと呼んでいるので、その点がわかりづらさにつながっているのだと感じます」
アクティブ・ラーニングの一番のポイントは、「問題解決に向かって、思考が活性化される」ことだと山地教授。
「たとえば実験するとき、試験管に液体を注ぐにしても、それがどのように問題解決につながっていくのか、自分の中でしっかりと意味づけして意識していなければ、アクティブ・ラーニングとは言えません」
何かにつながっていくための探求過程であってこそ、思考は活性化する。「次に活きることを考える」ということが重要だ。
「アクティブ・ラーニング型授業とは、意図的に、思考が活性化されるための工夫をするということです。もちろん講義形式の授業であっても、思考を活発化させている学生にとってはアクティブ・ラーニングと言えます。しかし学生一人ひとりの能力に委ねるのではなく、皆の思考が活発化するような授業を設計し、実践することが求められているのです」
ひとくちに「思考」と言っても、いろいろな思考がある。単純に比べるのも、KJ法などで構造化するのも思考、論理的に考えるのも思考だ。また教科によっても違う。数学における思考と歴史における思考は違う。
「それぞれの領域で目指す思考は異なるでしょう。けれど、その目指す思考が活性化していれば、アクティブ・ラーニング型授業と言えるのです」
アクティブ・ラーニング型授業とは
思考が活性化されるための
工夫をするということ―
教育を変えることの難しさ
なにゆえ中央教育審議会が「質的転換答申」を取りまとめるに至ったのか。そこには「教育を変える」ことに対して、大学が決して積極的ではなかった、という実態が影響している。
「質的転換答申で、国が教育方法に口出しをするという、かつてない事態に至りました。アクティブ・ラーニングという言葉を借り、ルーブリックやポートフォリオ、パフォーマンス評価などのカタカナ言葉を詰め込んで、一気に改革していこうと舵を切った。大学では、講義形式の授業をしても授業が成り立たないという現実が露呈し始めていたのです」
大学は自分で選んで自分で学ぶところ。だから生徒ではなく学生と呼び、授業ではなく講義と呼ぶ。主体性の高い学びの場である―こうした考え方は古いのだと山地先生は苦笑する。
「最近の学生は自分たちのことを生徒と言い、講義のことを授業と呼びます。この十数年、出席率は非常によくなりました。しかし、学生たちはマジメに出席しながらも、スマホなどに集中して自分のことをやっている(笑)。講義に積極的には参加せず、身だけそこに置いているのです」
先生方も、学生たちに何が身についているのかが見えず、講義内容は以前よりも伝わらなくなっていると危機感を持っていた。ゼミに出席しても学習する意欲のない学生が多く、大学院でも修士論文に手こずる。
「大学全入時代を迎えて、いろいろな人が大学に入ってくるようになったということの現れでしょう。自分が何をやりたいのかもはっきりしないままに大学へ入ってくる学生が、本当に増えました」
なかなか自ら改革しようとしない大学に対し、文部科学省サイドからはGP(グッド・プラクティス:大学教育改革における優れた取り組み)など、政策的な呼び水をかけたが、全体の動きは鈍い。しかし、世の中は非常に速いスピードで変化していく。「大学が自発的に教育改革を行う」ことに対する諦めが蔓延していく。
「大学に対して一番諦めたのは産業界です。新入社員にあまり手間も時間をかけられない。だからこそ学校では社会に出る力をきちんと身につけさせてほしい。大学という学校教育の最終段階で、それまでの積み残しをリカバリーして、しっかりした社会人として世に送り出してほしい。それが産業界の望んでいたことでしょう」
就職活動を考えると、2年半〜3年の間にリカバリーする必要がある。一方で学ぶ意欲を見せない学生たち。大学は産業界の期待には応えられない。先生方も音を上げる。
「大学の先生は、自分の本分は研究だと考えています。今盛んに言われている『教養教育の充実』『生きる力』『人間力』を育むということに関しては、自分の本来的な業務ではないと考えているのです。ですから、大学にとってはミスマッチの役割を与えられたという難しさがあるのです」
教養教育を、社会人基礎力を身につけるためのスキル教育にしてしまってよいのかという疑問は大なり小なりあると山地教授。それでも変えていかなければならない大学教育の壁。アクティブ・ラーニングは、その壁を越えていくためのカギとなる。
自分を成長させるスキルと考える
「先日、とある高校の公開授業で、アクティブ・ラーニング型授業を拝見しました。そこではグループワークが行われていたのですが、グループとしての結論を出すにあたって、収まりのつかない生徒がいたんです。授業の最後に先生がまとめをするものの、『私は納得できません』と一歩も引きません。最終的には『そういうことをおっしゃる方を、私は先生と呼びたくありません』とまで言うんですよ。これはものすごい信頼感の表れですね」
生徒がそこまで言い切れるということ。それに対して先生が正面から向かい合っているということ。これはアクティブ・ラーニングの理想型であると山地教授は語る。アクティブ・ラーニングで思考が活性化すれば、個々人で違う方向に進むのは自然のこと。同じ題材に相対しても、違う関心を持って見れば違うように見えるのは当然のことなのだ。
「『今日はここまで、はい、以上』で終わる授業ではなく、生徒の側が授業内容を引き継いで、自分の課題にしている。アクティブ・ラーニングが最終的に目指すところは、生徒たちを『アクティブ・ラーナー』にすることです。公開授業で見た生徒たちは、紛うことなく『アクティブ・ラーナー』になっていました」
どういう状況でも、正解がひとつにまとまらないときでも、十分に情報が得られないときでも、自分が今何をするべきなのかを考え、どういった情報が必要なのかを判断し、自分にとっての解を見い出して、先へ、先へと進んでいく。それが主体性というものだ。
「主体性を得るための学び方のトレーニング、それがアクティブ・ラーニングです。アクティブ・ラーニングは、自分を成長させるスキルなのです」
タフに生き抜くために
「大学の先生にとって、アクティブ・ラーニング型授業を準備するのは大変な負担です。土俵や道具立てをしっかりと整えておかなければ、アクティブ・ラーニングにはなりません。しかし学生が一旦、アクティブ・ラーニングのスキルを獲得できれば、その後は自らの脚で、主体的な学びというらせん階段を上っていけるようになるのです」
では、どうすればアクティブ・ラーニングに対する先生方の負担感を軽減させられるのだろう。
「そのためには大学側の側面支援が大事です。かつてよくこのようなことを聞かれました。『200人のクラスでどのようにしてアクティブ・ラーニング型授業を実施すればいいのでしょうか』と」
アクティブ・ラーニング型授業、特に深い学びを目指すものは、そもそも大人数では難しい。先生が一人でマネジメント可能な人数は20〜30人程度だ。現状の個々の授業をアクティブ・ラーニング型に変えようとするのではなく、教育目標に向けて各授業の役割をはっきりさせたうえで、多人数で知識定着を図る授業、少人数でより応用力を高める授業など、組織的にカリキュラムを吟味する必要がある。
「高次のアクティブ・ラーニングのためには、少人数クラスやICT活用など、学習環境を整えることが何より重要です。その上で、教員と学生が密にコンタクトをとったり、グループワークをしやすい環境を整えたりする必要がある。またTAやSAの配備、LMS(ラーニング・マネジメント・システム)の整備と活用など、さまざまな工夫が必要でしょう」
なかにはフェイス・トゥ・フェイスでのグループワークに抵抗のある、対人関係をうまく構築できない学生もいる。しかしインターネット経由やテキストベースであれば、協働が可能となることも多い。
「複線化することが必要です。ひとつの手法に拘泥しない。どこか1点に秀でた学生にとって『みんながみんな、同じことを同じところまでやる』ということ自体が苦痛かもしれません」
学生一人ひとりに関心を持ち、それぞれの個性や才能を見取る。これはまさに「言うは易く、行うは難し」であり、人も設備もお金も必要だ。しかし教育センターや付属図書館、情報センターなどの学習支援機能を充実させ、先生方の負担を減らしながら、学生一人ひとりに寄り添う。それが「自分はこれはできないけれども、これならできる」という個々の能力や価値を見い出すことにつながる。
「社会では『自分一人ではできない、しかし協働することでやり遂げられる』場面もあると気づかねばなりません。お互いの違いやそれぞれの強みに気づき、お互いに一目置かなければ『協働』は成り立ちません。ただのお題目になってしまいます」
質的転換答申でも、一人ひとりを見取るために、ポートフォリオやルーブリック、学修行動調査といったさまざまな手法が示されている。
「アクティブ・ラーニングが目指す『主体的・協働的』とは『タフに生き抜くためのスキルを身につける』ことと同義です。社会人として自ら切り拓いていける力を育むためには、当然、手がかかるのです」
社会では
『協働せざるを得ない』場面もあると
気づかなければならない―
流行語に終わらせない
「よく『アクティブ・ラーニングでは知識を習得できない』と言われます。果たしてそうでしょうか。年号を記憶させるならゲーム的なアクティビティーが有効でしょうし、享保の改革の歴史的意義を考えるなら調べ学習や議論が必要でしょう。考えるべきは、習得させたい『知識』とは何かということ。もちろん、講義形式で伝えていくのが最適解である『知識』もあるでしょう」
アクティブ・ラーニングは目標が先に立つものだ。アクティブ・ラーニング自体が主眼ではない。『どのような学習が成り立ってほしいのか』という目標に対する手法として、アクティブ・ラーニングと総称される広汎な選択肢がある。ただそれだけのことだと山地教授は語る。
「これだけ一気に広まった言葉ですから、この先、アクティブ・ラーニングという言葉自体は消えてしまうかもしれません。しかし、アクティブ・ラーニングは言語活動の充実や体験活動の充実の延長線上にあるものとして、言葉は消えても概念は残るでしょう。その有用性は、学生たちが証明してくれるものと信じています」